駆け出しの三十数年前と現在では庭の作法も流行もずいぶん変わりました。
時には巨石や大木を用いて、豪華な庭を造ったり、
時にはレンガの花壇やテラスにいろいろな花を使い、
花に囲まれた暮らしを演出したりと、いろいろな体験をさせていただきました。
しかし、いつの時代も自然の風景を手本にし、
野山の風情をかもしだすような空間作りを心がけてきました。
渓流、山道、野原などその場所に身をおき、よく観察してきました。
自然界には直線も、半円のようなカーブも無いのです。
均整のとれた素直な樹形の木もありません。
原色に近い鮮やかすぎる色の花もありません。
むしろその対極にあるものばかりです。片枝の木や、樹冠だけの木。
また、はかない色味の可憐な花がほとんどです。
人が手を加えても同じようには決してつくれません。
だからこそ貴重だし、美しいのです。
永い歳月を経て作りだされた自然の風景は、
人が庭として再現しようとしても、到底本物を越えることは出来ません。
せめて感性をやわらかく持ち、自然に習うことで、
やさしい里山(雑木林)の風景を作っていければと思います。
自然石や、枕木、土からできたレンガ、木の塀などの自然の素材は、
雑木や野の花と相性がよく、年を経るごとに美しく風化し、趣を増します。
対して、人工的な構造物はどうしてもそれだけが目立ってしまいますが、
そのような場合でも色味を抑えたり、植物を添わせたりと工夫をこらせば、
風景になじみます。
住宅地の中に自然風庭園を造る場合、
条件もさまざまですが、それなりの工夫が必要です。
狭いスペースでも、高低差のある雑木を木立が重ならないように、
前後に出入りをつけて配置することで、
奥行きと広がりが生まれ、自然の雰囲気を充分満喫できます。
個人的な好みとしては、手付かずの自然といった風情の庭が好きですが、
自分の好みや価値観を人に押し付けぬよう、常に心がけています。
まずお客様の要望を第一に優先し、本質の部分ははずさず、柔軟な発想で、
要望以上のものを提供すること。それがプロとしての心得だとおもいます。
なぜここまで土作りを重視するのか。
これまで育った圃場の樹木を、根を切って新しい場所に植えつける。
一年目はほとんど養分も吸収せず葉色もややあせ気味です。
しかし2年目以降こま根がびっしり出ます。
それからが土壌改良した土の実力発揮です。
重機で締め固めた土壌では、
いくら樹木でもかたい地盤をつきやぶって、根を四方に伸ばすのは至難の業です。
さらに有機物のない土は、根の出方が荒く、長雨が続けば根ぐされし、
干ばつが続けば水分不足を起こします。
また乏しい根茎では、上部を支えきれず枝枯れしたり、枯死したりします。
また枯れないまでも、雑木本来のやさしい枝ぶりや、
さわやかな風情が失われてしまいます。
一方、土作りをしっかりしてやると、通気性、保水性が向上し、
有用な土壌菌が繁殖し、根がスムーズに伸びます。
またこま根が多く、土の水分や養分を吸収しやすくなります。
元気な根っこの植物は、病気や害虫に強く、発生しても被害がそれほど拡大せず、
みすごせる範囲です。
ヒトの免疫力が病気をはねつける力があるとすれば、植物でも同じです。
免疫力の強い植物。すべては土壌によって左右されます。
なぜここまで土台にこだわるのか、それは最初のその時がチャンスだからです。
深く耕したたり、堆肥を投入したりは、作ってしまってからでは、
なかなか難しい面があります。
(株)彩園が手がける「雑木と野の花の庭」には、
ヤマアジサイやワレモコウ、セージ類から葉物まで多くの野の花や、下草を使います。
かれんな花が毎年長く咲きつづけ、四季をうつくしく演出してくれるのも、
元気な根っこが育つ環境があり、健康な生育をしているためです。
また下草類が元気だと雑草のはびこるスペースがなく、
生えても豊かな土であれば、簡単に抜けるというメリットがあります。
地球環境はますます悪くなり、夏は毎年、異常な暑さです。
人間にも植物にも体力がなければ、やりすごすのには厳しい時代になりました。
リビングの前の小さな空間。
駐車場のフチ15センチほどの場所、
また敷地内で雑草のみが所在なげに繁るスペース。
そんな生活のスペースに一本でも、木を植えてみませんか?
緑のある暮らしは、風と光と陰を感じる暮らし。
春の芽吹きは、それまでの風景を一変させ、生命力の強さを実感します。
夏には枝葉が太陽をさえぎり、いたいほどの暑さをやわらげてくれます。
住まいの庭の植物たちは、こちらが期待する以上に、
人生の愉しみと恩恵をもたらしてくれるでしょう。