鎌倉時代、秋月氏の統治から、江戸時代黒田氏に至るまで、城下町として長い歴史を刻む町秋月。 周囲の山々と町中を流れる水系が美しく、先人が残した白壁、石垣が素朴な味わいをかもし出す町。
そんな秋月のシンボル 眼鏡橋のそばに、何度でも足を運びたくなる、天然酵母パンのみせ「月の峠」。 その社長さんからの一本の電話が、我が彩園にとって、はるかな刻へ想いをはせる、夢の構想の第一歩となりました。
「店の駐車場の周りに耕作放棄で荒れた田んぼがあるけど、そこをなんとか歴史ある景観を守りつつ、たくさんの人達が来てくれて、秋月の魅力を満喫してもらえるような場所へ、変えられないだろうか」
その場所とは、江戸時代つつましい暮らしの武士たちが、自給自足のために大小の石を一つ一つ積み上げて作った棚田。またその子孫たちが家を建て農耕をし、
暮らしを支え続けたその土地が、今まさに荒れ地となって昔からの面影が消えようとしている場所でした。
現に少し集落を離れた上流の方では、石垣が維持できずに コンクリート擁壁へと作り変えられた所も随所にあり、時代の流れから歴史の面影が少しずつ失われていく現実を、感したりしました。
その時が、時代の流れの中で、失われていく風景をなんとか残したい、 なおかつ生かしたい、秋月に生まれ育ち、郷土を愛する社長さんの熱い思いをひしひしと感じた瞬間でした。
のべ十数枚の棚田を合わせおよそ2000㎡。景観保護条例により、石垣は現況のまま残すべし。屋根のある建造物はダメ。
造営にあたっては役所や大学の研究者の実地調査が行われ、厳しい制約が設けられました。簡単にはいかないなぁ、そんな思いで夏草を踏み分け周辺を歩いてみると、竹やぶの中にキラキラ光る宝物を発見!
その時の驚きが大仕事へ立ち向かう強い原動力となりました。
以前テレビで、明治神宮の杜が写し出されていました。明治神宮造営事業は、国家をあげての一大プロジェクトであり、その際、明治天皇の遺徳を偲び、全国から献木10万本が奉納され、なんと11万人の青年たちがボランティアで集結したそうです。
森は面積にして東京ドーム15個分。時の宰相大隈重信首相は、神宮の森は日光や伊勢にならい杉や檜にするべしと強引に主張。しかし当時の林学博士や林苑関係者が、代々木の土質は杉には不向きなこと、まして今後ますますひどくなる公害にも堪える樹種でなければ森は育たないと、断固立ち向かい現在の杜の礎をつくったということです。
そしてさらにすごいのは、100年先、その先の未来永劫育ちゆく森をその時点で構想し、林苑学の英知を結集して造営にあたったということです。
そまず初期の段階に背の高いマツやヒノキで神社林の体裁をなす。その間に小さい照葉樹を植える。針葉樹が枯れた頃には、次の世代の木が大きく育ち、次の世代へと引き継ぐ。やがて100年、150年たてば自然林となり永遠の森を形成するということです。
実に壮大でかつ綿密、当時の林学の底力と先見性には感じ入るばかりです。
そして今回秋月の地へ植林することになった時、あの明治神宮の百年の森構想がよみがえってきたのです。現在から未来へつなぐ森。夢は大きくふくらみます。
ただ違う点は、明治神宮の杜は、人々の出入りによる被害を避けるため、花の咲く観賞用の木がないこと。
名付けて秋月「山音ガーデン」は、たくさんの人々に散策してもらい、四季を通じて楽しんでもらうため花や紅葉の美しい木々を植えること。
10年、20年、50年後 その先まで、あるときは満開のサクラが大空一面を淡紅色に染め、あるときはいっせいに芽吹いた若葉が生命の躍動感を伝え、やがて緑から茜色や山吹色へ風景を塗り替えながら、枯れ木立の中の雪景色へとバトンタッチ。現在進行中のこの森は、きっとめぐる季節ごと、たくさんの人を楽しませてくれる、そんな森を絶対作る!
そんな思いで日々ワクワクしながら作業をすすめています。
ところで竹やぶの中にあった宝物とは、両脇から倒れ込んだ竹や繁りすぎたカズラに覆われ視界が遮られていたけれども、そこには美しい水が流れる沢が!
両岸高さ3m程に石垣が上手に積まれ木もれ日をあびて、水面がキラキラ輝いていました。先人たちが大事にこの清流を守っていたことが偲ばれ、このまま埋もれさすのは本当にもったいない。葉音さわやかな木立を散策しながら、清流の沢へと誘うなごみの里の森づくり。そのときフツフツと創作意欲が湧き上がってきたのです。
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